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2006年2月19日 (日)

ミュンヘン

スピルバーグの新作「ミュンヘン」を観て来た。ミュンヘンオリンピックで起きた実在のテロ事件をもとにした実にヘビーなストーリーだが、なかなか良い映画であった。

選手村に泊まっていたイスラエル選手たちをパレスチナのテロリストたちが襲う。復讐を企てるイスラエルは諜報機関モサドとその活動員にテロリストたちの殺害を命じる。

そして繰り返されるテロの応酬。一方が殺されれば、もう一方が殺される。そして憎悪の連鎖が続いてゆく。自爆テロなんかで未だに終わらない世界の現実でもある。

この作品は「シンドラーのリスト」とか「プライベートライアン」なんかの系譜にあたる作品であるが、そのメッセージ性においておそらく最高傑作といえるんではないかと思う。

何故ならユダヤ人であるスピルバーグが、このテーマをイスラエルに肩入れすることなくパレスチナの側にも一定の配慮をしつつ冷静に描いているからだ。

パレスチナのテロリストにもモサドのユダヤ人にも当然家族があり子供がいる。そんな当たり前のことも忘れてしまうほどの激しいテロの応酬。誰もが祖国の為、自分の家族の為という名目で次々と人を殺していく。

最初は罪の意識が脳裏をかすめていた殺人も、いつしかそれはゲームと化する。人はどんなことにでも慣れていくものだというが、殺人すらその例外ではない。

そしてやがて訪れる狂気。殺し殺される中でいつか人は平常心を失いそして錯乱する。人を殺した記憶はいつしか殺される恐怖へとつながっていく様は見ていて怖くなった。

最後に一人残った主人公(活動員)はパレスチナに復讐される恐怖に苛まれ、また任務を命じた政府に対し猜疑心を強めてゆく。

「馬鹿げた殺し合いはもう止めて一緒に夕飯を食べないか?」

主人公の最後の台詞。それにはっきり「ノー」と答える上司。これが今の(馬鹿げた)現実なのであろう。何故「ノー」なのか!!

こんな作品作れるのはスピルバーグだけですね。お勧めです。

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2006年2月 7日 (火)

東京漂流

ブログをサボり続けて一月が経とうとしている。そして今年も既に12分の1が過ぎてしまった。それにしても早いものだ。仕事に追いまくられ先月は土日も返上状態が続いた。

それでも、出世街道驀進中のニューヨーク駐在員山●さんとは東中野&新宿で深夜まで飲んだし、上海でシャチョーさんをやってる池●さんとも久しぶりに新橋で飲んだ(読んでる?)大学のゼミ会で先生や旧友、学生さんたちとも青山で飲んだし、会社の上司(会長)のFarewell Partyで青山&六本木で大騒ぎもしたな。仕事(倉庫)で苦楽を共にした(酒は嗜まないはずの)マレーシアのスタッフたちとは横浜中華街で飲んだし、UKからの出張スタッフ(♂)とは舞浜イクスピアリで二人、ビールをがぶ飲んだ。先週末は中国は深センに駐在している学生時代の友人と新宿でフグを食す。それにしても飲みすぎである。

そして三●歳の誕生日は職場近くのおでん屋さんで同僚と乾杯(!)

「仕事」以外は「飲み」だけ。これが先月の私の全てであった。そういえば長年(とはいっても時々であったが)通っていた南青山のさるお店が先月末で閉店となり、最後の夜をそこで過ごしたっけ・・・。青山キラー通りで二十年以上も続いていたとても良いお店だったのに!心地よい音楽とマスターの作る美味しい料理。一人で行っても友人と行っても楽しいところでした。ほんとに残念。

寒い日が続く東京。そして流れゆく日常。藤原新也という作家&写真家の作品で東京漂流という本があったのを何故かふと思い出した。本はひたすら硬派な世界で、最後の野犬のお話が特に好きだったのだが、私の浮ついた東京の日常とは(もちろん!)何の接点もない。

野良犬駆除の毒餌をパクついて死んでいった犬たち。都市の快楽に背を向け、誰かにエサをもらうこと、首輪をつけられることを拒否する。ひたすら野生のままに生きた犬たちが最後にはまった罠。そんな風景を眺めながら「オレは毒餌にはひっかからないぜ」という作者の決意表明で終わる。そんな本に共感したのはいつの頃だったのだろう。あれから遠くに来てしまったなあ。

ということでおしまい。

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