2006年6月 5日 (月)

ウイスキーがお好きでしょ?

かなり昔だがニッカウヰスキーのTVCMが好きだった。田中美佐子だったかが「女房酔わせてどうすんの?」などとのたまうアレである。なかなか良く出来ていたと今でも思う。

私はウイスキーが大好き。それも学生時代からニッカがお気に入りである。家で飲むウイスキーはもっぱらブラックニッカ。スーパーニッカも今まで随分と飲んできたし、ニュー・オールモルトとかもすっきりとしていてとても美味しい。

そんな人間であればやはりあこがれる街。それが北海道は余市というところである。そう、ニッカウヰスキー創業の地であり、北海道工場があるところである。

創業者は竹鶴正孝氏。造り酒屋のせがれだったのだが、家業を継いで田舎町で人生を費やす未来に焦燥を感じていた。そんな時チャンスが訪れる。就職した大手洋酒メーカーの社長より「スコットランドでウイスキー作りを勉強しないか?」という誘いを受けるのである。

大正の時代にスコットランドへウイスキーの製造方法を学びに行くなんてかなりチャレンジングなことであったと思う。だが竹鶴氏はグラスゴー大学で必死に学び、製造方法だけでなくスコットランド人の奥さんまで持ち帰ったのだった。

その後壽屋(現サントリー)の鳥井社長に引き抜かれ、例の山崎工場を立ち上げることになる。これには逸話がある。竹鶴氏は「ホンモノのにっぽんのウイスキー」を作ることに情熱を燃やしていた。そんな彼にとって気候や水質などスコットランドにも似た北海道余市はウイスキー作りに最適の土地であった。

しかしサントリーにしてみれば、関西の商圏から遠く離れた場所に工場をつくっては非効率この上ない。商売の現実に即し、また会社の意向に沿って氏は山崎という土地を選択。今はサントリーウイスキーの最高級ブランドとして有名な蒸留所となった。

しかし彼はどうしても「ホンモノ」が作りたかった。ということでサントリーを円満退社。婦人のリタさんを連れて北海道は余市に念願の工場を建てた。

ウイスキーは数年間寝かせる必要があるため、最初の数年は全く商売にならなかった。それでも会社存続の為に資金繰りはしなければならない為、りんごジュースやシードルを売っては創業期を凌いだのであった。

その当時の会社名「大日本果汁株式会社」から「日」と「果」をとって「ニッカ」。なんとも安易なネーミングではある。

ということで、彼は「にっぽんの」「ホンモノの」ウイスキーを造るという初志を貫徹したのであった。日本近現代史においてこんな面白い人物がいたなんて・・・。竹鶴氏自身があまり知られていないのが残念ではある。

余市蒸留所は当時の赴きを残しながらも、今もなおたくさんのウイスキーを蒸留し続けている。北海道の大地で「命の水」が今も脈々とそして滾々と熟成していく。人々の乾いた心を癒す為に。

ますますニッカのファンになってしまった旅であった。ということでGW北海道紀行はこれにておしまい。

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2006年6月 1日 (木)

お前らでかい夢みろよ~札幌の夜

北海道大学の基礎を築いたとされるクラーク先生の有名な言葉。我流に訳すとこんな感じだろうか。

米国から赴任してたった9ヶ月の滞在だったのに「北海道開拓の偉大なる先人」となってしまっているところ、きっといろいろな意味で強烈なおじさんだったんだろうなあ。

でクラーク氏の薫陶を得たという日本人の学生たちがまたすごい。新渡戸稲造、内村鑑三、変り種では有島武郎なんていう、日本近現代史のすごい人たちばかりである。ほんとに優秀な人ばかりが集まった感じである。

ということでクラーク像がある北海道大学のキャンパスや赤レンガ(旧道庁舎)、植物園などを散策。開拓の歴史とアイヌ文化、樺太、そしてロシアとの関係などいろいろと勉強になった。

その後大通り公園、札幌TV塔など観光客お約束の場所をウロウロ。やっぱ天気の良い休日の公園ってホッとしますね。そしてTV塔の上から市内を一望。札幌はでかい街です。

TV塔から降りると、地下のレストランで簡単な昼飯を食べる。そしていよいよ札幌観光最大の目玉「時計台」を訪れることにした。

ここは「日本3大ガッカリ観光スポット」のひとつと言われるだけあって、確かに「アレっ?」というくらいこじんまりとした佇まい。この時計台の前からNHKが良く中継なんかをするもんだからさぞ立派なランドマークだと期待していたのだが、大きな大きな勘違い。

余談だがベルギーにあるションベン小僧も「世界3大ガッカリ観光スポット」のひとつだと個人的に思う。あそこも行ってびっくり、観てびっくり。下手をすれば通り過ぎてしまうようなところにあった。

ということで札幌観光を堪能する。その後北海道在住のM氏と落ち合った。氏は東京出身だが北海道にあこがれてついには移住してしまったという人物。ウインタースポーツ大好きだそうな。

まずは市内を一望できる藻岩山に車で連れて行ってもらった。天気も良く遠くが良く見渡せて大満足。その後小さいお子さん(カオちゃん)も居るM宅にお邪魔する。

そこは東京のそれと比べるととても広いお家で、使っていない部屋もたくさんあるようだった。うらやましい!東京で同じ値段を出しても絶対に買えない様なお家であった。素敵である。自分にも家族がいたらこんな人生もありかなあと思った。

その後近所の海鮮居酒屋に連れてってもらう。M氏行きつけの地元民でにぎわうお店で雰囲気もとても良かった。で二人で日本酒の熱燗を飲みまくってしまう。もちろん魚介類は何を食べても美味しい。そういえばアスパラも美味しかったなあ。

かなり酔いが回った後はオトコ二人でカラオケボックスに。M氏とはほぼ同年齢の為、昔聞いていた曲がかなり近い。お互い懐かしい曲を歌いまくって盛り上がってしまった。

翌日のフライトが朝7時台だというのに23時過ぎまで飲んで歌ってしまったが、宿泊しているホテルまでタクシーで何とか戻った。こうして札幌最後の夜が過ぎていったのであった。Mさんどうもありがとうございました!

おしまい。

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2006年5月17日 (水)

北海道ドライブ紀行(小樽~積丹)

旭川の夜が明けると、今度は一路札幌へ向かう。不安定な天候の中、高速道路をひたすら南へ突っ走った。ここでも170キロは軽く出ていたと思う。

途中強烈な横風を受けながらも、あっというまに札幌に辿り着く。しかしそこでは降りず引き続き高速で小樽へ向かった。

小樽。こじんまりとしているがさすが港町。街並みがどこかハイカラというかしゃれている。有名なレンガの倉庫群も悪くないが、坂の多い起伏にとんだ土地柄は個人的にとっても好みである。

小樽の港沿いにある馬鹿でかいGMSであるポスフールでトイレを借りると、今度は一路積丹半島を目指し走り出した。ズっーと先にあるカムイ岬が目的地。海岸沿いの細~い道をひたすら進む。

天気はあまり良くなかったが気持ちのよいドライブコースであった。で辿り着いた岬であるが、あいにく天候不良と強風の為岬の先端までは行けなかった(入り口閉鎖)。昔は女人禁制の聖なる場所だったらしい。また当時はロシア艦隊が沖合いに近づくと、見張り台から中央政府に伝令が伝わったそうな。

そんな感じで強風にあおられながらも、岬を出発。途中ミソラーメンを食べる。北海道を旅行しているとラーメンばかり食べることになる。東京ほど外食のお店が充実していないのが最大の理由だと思う。

その後今日の最大の目的地、余市へ向かう。そうご存知の方も多いと思うが、ニッカウヰスキーの北海道工場があるところである。

ニッカについてはブログで一章設けて書きたいので、詳細は省略する。スコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴正孝氏が、日本でホンモノのスコッチウイスキーをつくるとしたらこの場所しかない!と選んだ街がここである。たしかにカラッとした気候風土がスコットランドに似ていなくもない。

工場を見学した後、最後に試飲ブースがある。未成年はもちろん、ドライバーは飲むな!とアナウンスされているのだが、それはそれ。大人のルールである。軽く飲んだ後チェイサーでりんごワインを飲み、酔いもしゃきっと解消(?)

いろいろとお土産を買い込んで余市を後にした。

その後夜半に札幌へ辿り着く。旅の道連れだったトヨタビッツともここでお別れ。ビジネスホテルのシングルを見つけ投宿した。

軽く夜の街を散策。ススキノでジンギスカンもどきを食べ就寝。こうして3日目の夜が更けていった。続く。

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2006年5月16日 (火)

北海道ドライブ紀行(富良野~旭川)

翌朝は思い立って旭山動物園に行くことにした。とはいえ旭川は50キロほど先。車の少ない朝の高速道路(とはいえ車線は1本しかない)を南へひた走る。

何せ一般国道でも120キロくらい平気ででてしまうのが北海道。高速に乗ろうものなら、気づかずにすごいスピードが出てしまう。レンタカーで借りたトヨタビッツが快調なせいもあるのか、気づくと170キロ出ていた。

ということであっという間に旭川へ。ナビに従って行くと朝の8時過ぎには旭山動物園についた。今何かとマスコミで話題(?)の動物園ということでものはためしと行ってみたが、ついた頃には既に長蛇の列。

日本最北で一番人気の動物園と言っても、別に北国でしか生息しない珍獣がいる訳ではない。一体なんでだろう、クビを傾げつつも列に並んでしばし待つ。

普段は9時30分開園らしいが、その日は9時前には入園できた。GWで既に多くの人が並んでいたせいもあるのだろう。融通が利いていて気分はよかった。

で中をぐるっと一周。動物の解説なんかが手書きポップだったりして手作り感に好感を持った。適度にこじんまりとしていていい感じ。でも入園30分後くらいで、あっという間にどの施設も人の列が出来てしまった。

3●歳のオトコが一人でうろうろしているのもアレだし、ということですばやく退散。駐車場の交通整理をしているおっさんに「お兄ちゃん、もう観たの?」と怪訝そうに声をかけられたが、未練もなく退散。

その後富良野、美瑛エリアを目指してドライブ。雪が映える山々を遠くに眺めながら、平野をひた走る。キモチイイ。天気も最高であった。大雪山の山道入り口まで行って見ると、辺りはまだまだ雪が残っていた。ぽかぽか陽気とひんやりとした空気が絶妙のハーモニーで、窓を開けっぱなしで走る気持ちよさといったらこの上なし。

しばらくぼっーと山を眺めると、お昼近くになったので富良野市街へ向かう。北の国からの舞台であるが、想像通りな~んにもない街であった。市内のラーメン屋で昼食をとったあとは層雲峡温泉を目指す。

またまたひたすら車を走らせて辿り着いたのが、雪解け水で増水した川の流れのほとりにある温泉街。観光地観光地したけばけばしさがまったくなく落ち着いた良い街であった。

その街から大雪山の山腹まで上るローブウェイがあるので昇ってみた。すごい景色に圧倒。太陽に映える雪山が何とも美しく荘厳な風景が眼前に広がり、思わず口が開いてしまった。

山の中腹からはスキー用のリフトがあり、高所大好き人間の私としては昇らないわけがない。ということでそこからさらに山頂を目指す。そういえばリフトの機械の製造プレートを見るとオーストリアの会社であった。やはりスキーはあちらの文化だよなあ、などとふと思う。

でリフトを降りてから辺りを眺める。すばらしい!くっきり晴れた青空をバックに白銀の山々がその姿を見せたのだった。ちなみにおそらくオーストラリア人のスノーボーダーがそこから滑り降りていったのをみたが、コースは完全に上級者向け。こんな斜面私ではまず無理ですね。

その後山を下り、近くにある滝なんかを眺める。おそらく台湾からの観光客がバスツアーで大勢やってきていた。台湾の人は普通雪を見ることがないので、それはそれは驚きだろうな、と思った。

で一路旭川へ。ついたのは日も沈みかけた頃。GWなんでどのホテルに行っても満室と断られたので、ガイドブックに乗っている電話番号に一軒一軒かけてみる。すると安いビジネスホテルが開いていたのでそこに泊まることにした。

夜は旭川の街をぐるーっと周り、創業50年がうたい文句の趣のある居酒屋さんに入り、カウンターで一人夕飯&晩酌。美味しい魚介類料理とサッポロビールに熱燗ですっかりいい気分となった。さすがに旭川なので街はそれなりに栄えているが、夜は少し寂しい。

ホテルに帰って速攻寝てしまった。二日目はおしまい。

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2006年5月14日 (日)

北海道ドライブ紀行(稚内~士別)

GWに北海道を旅行した。三十ウン年生きてきて今回が初めての北海道。3日昼ANAの羽田発稚内行きに乗り、空港でレンタカーを借りて各地を(かなり強引に)周遊してきた。

まずは最初の目的地である宗谷岬へ。空港から海岸線をたどり日本最北の地へと向かった訳だが、まず驚いたのが道路を走る車のスピード!一般道だというのに7,80キロ出すのは当たり前。気づかないでアクセル踏んでると100キロくらい出てしまってる時もあった。それに市内の道路標示はロシア語併記。さすが隣国がロシアなんだと実感。定期航路もあるらしい。

そうしてあっさりと辿り着いたのだが、うーん、特に感慨深いものはなし。はるか沖合いに樺太がぼんやり見えるような気がしたが、だからどうという訳でもないし。それにしても海が穏やかで波がなかったのが意外ではあった。

宗谷岬の観光客向レストランでミソラーメンを食べ、一路稚内市内へ。岡の上にある公園に行って市内を一望する。特に何もなし。公園内にある開基百年記念館と北方記念館を訪れる。

展示内容は結構充実していて楽しかった。その昔樺太(現サハリン)にはかなりの数の日本人が暮らしていたことを知る。また大韓航空機撃墜事件はサハリン上空であったことから、この辺りの海岸沿いに遺留品が多数漂着したらしい。それに南極探検隊で活躍したのがあの樺太犬タロとジロ。子供の頃夢中になった物語を思い出してちょっとしんみり。

稚内の岡の上にある公園には、5月だというのにまだまだ雪が残っていたのが印象的であった。桜の季節もこれからだというから、やはりここは北の果てなんだと実感。

その後ノシャップ岬(特に何も無し)をぐるっと周り、今晩の宿を求めて豊富温泉へ。道すがら対向車線にほとんど車がない中、南下し辿り着くとそこは鄙びた温泉街。その中でも一番マシそうなホテルに行ってみたが、フロントで「満室です」の一言。

GWに宿の予約もしないで旅をする自分が悪いのだからどうしようもない。他のいかにも温泉民宿みたいなところはどうも一人で泊まるには侘しすぎたので、もう少し南下してみることにした。

とはいえその時、時刻は19時頃。お日様はとっくに落ちていた。とりあえず今晩は旭川辺りまで行ってみるか、と車を走らせてはみたものの、行けども行けども真っ暗な国道が続くばかり。良くは見えないがずーっと牧草地が続いていて、民家どころか街道沿いのお店やガソリンスタンドも皆無。

引き返すわけにも行かず、真っ暗になった道をひたすら走り続けた。ラジオをつけてもNHKとHBC(北海道放送?)がかろうじて入るくらい。それも死ぬほど退屈な人生相談とかを延々とやっていて、気分は滅入るばかりであった。かかる曲もこころなしか古い曲ばかり。

一般国道だというのにおそらくは120キロくらいのスピードで1時間くらい走り続けていると、ようやくコンビニが一軒見つかった。北海道で最大手コンビニであるセイコーマートであった。とにかくおなかがすいていたのでおにぎりやお茶を調達。

噂には聞いていたが、レジまでおにぎりを持って行くと「おにぎり温めますか?」と聞かれたのにはちょっとびっくり。北海道ではおにぎり温めるんだよね~。そしてまた真っ暗な国道をひたすら走る。ほんとに何も無し。

時間も22時を過ぎた頃、ようやく士別という街に辿り着く。ちなみに稚内から195キロ地点である。ガソリンスタンドで給油したときそこのおじさんに「この辺で今から泊まれるトコないですかね?」と聞いてみた。すると、街道沿いに健康ランドみたいなところがあって、そこなら温泉&サウナに入るチケットを買って休憩室で寝ることも出来るみたいだよ、と教えてもらった。

ということで、その日の晩はたっぷり風呂に漬かってサッポロビールをがぶ飲み、リクライニングシートを名一杯倒して寝た。他にも同じような人がたくさんいた。バイクのライダーたちとかだろう。12時くらいになるとTVも電気も消してくれたので、ぐっすり眠ることが出来た。

そして一日目が終わったのだった(続く)

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2006年5月 3日 (水)

那須

GWの初っ端は泊りがけで那須高原に行った。友人が区分所有(?)するペンションが那須にあり、前々から誘われてはいたのだが今まで行く機会がなかった。

今回は仲間大勢とそれぞれの車に乗って目的地に向かった。場所は那須ハイランドパークの近く。落ち着いた感じのよい場所である。

高原で美味しい空気と美しい自然を満喫する・・・というのが一般的な那須のイメージだろう。しかし自然を満喫したのはほんのいっとき。昼からビールを飲んで深夜まで騒ぐというのが実情であった。

せっかく那須まできたのに・・・こころからそう思う。しかしゆったりとした気分で飲むお酒も楽しいものだ。

今回のメンバーにはイタリアンのコックさんも参加した(してもらった?)ので料理も充実。安い予算で美味しい食事をたくさん食べた。地元で作られる野菜やベーコンなど素材が良いし、やはり持つべきものは(料理人の)友人である。

とはいえ酒を飲んでカラオケで騒いでいただけではない。昼間は牧場(千本松)を訪れたり御用邸の近くをドライブしたりと充実した時間を過ごした。

GWの最初であったせいか、高速道路もたいした渋滞がなく全てが順調であった。牛も見れたし、美味しい牛乳とソフトクリームも楽しめたし、お酒もたくさんたくさん飲んだし、温泉にもゆっくり浸かれたしといいこと尽くめ。

機会があればまた訪れたい。ということで明日から北海道を旅する。

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2005年7月 1日 (金)

サンパウロ最後の夜

再びサンパウロ。モルンビー墓地にあるアイルトン・セナの墓に行った。

「えっこんなんなの?」_096 _094

と思わず声を出してしまうくらいこじんまりとしたモノであった。

サンパウロ最後の夜(正確に言うと一日前)はサンパウロ在住の友人たちと会食した。お店はシュハスカリアRODEIO。ポルトガル語ペラペラの日本人3人に囲まれてとても楽しかった。

このお店はサンパウロでもかなりポッシュなエリア(サンパウロの表参道つーか青山通りあたりらしい)にあり、東京やNYのレストランにでもいるのかと思うくらいコジャレていた。

でもお肉もサラダもとってもおいしかった!Rさん、Eさん(読んでないかな?)ほんとにどうもありがとう!

ということで南米の旅はこれでおしまい。

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サントス

6月29日に帰国した。なのでこの記事は日本で書いている。

ということでサントスに行ってみた。サンパウロから車で一時間くらい。コーヒー豆の輸出港_090 として名高い街である。あとはサッカーでも有名ですね。

サントス市内は日曜日のせいか閑散としていた・・・というか既に終わっている感じ。往時の繁栄は既に過去の栄光ということなのか。とにかく活気というものがない。だいたい人も車も少ないし、子供が遊んでいる様子もみえない。

ということでここでもモンチ・セハーの丘という高台から市内を眺める。また中心部にある旧コーヒー取引所_092 にも足を運んだ。所内にあるカフェのコーヒーはさすがにおいしかった!

ちなみにコーヒー豆で「サントスNo2」とかの銘柄があるが、これはサントス港から世界に輸出されていた為、それらの豆の総称らしい。別にサントスで栽培しているからではないとのこと。

あとはサッカーファンなら一度は訪れてみたいサントスフットボールスタジアム_086 へ。過去2回も世界一に輝いたチームがサントス。例のカズが所属していた。いや!というよりはあのペレがいたチームといったほうが良いだろう。

実際に行ってみると非常にこじんまりとしたスタジアムである。客席とピッチの距離が非常に近い!手が届くくらいっといったら大げさかもしれないが、それくらい近いのである。

ちなみにサントスのスポンサー企業はパナソニックである。

ということでいい感じに廃れでもサッカーだけは強くそしてコーヒーで有名なサントスを後にした。

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2005年6月26日 (日)

サンパウロ

昨日サンパウロについた。朝晩は少し肌寒いくらいである。南米一の大都会だけあってさすがにビルも車も人も多い。

今回の旅でサンティアゴ、ブエノスアイレス、イグアス、マナウス、サルバドール、リオ・デ・ジャネイロと回ってきたが、やはりサンパウロが一番の大都市である。

おまけに街の雰囲気が一番やばいのもサンパウロかもしれない。夜1人では歩けないエリアが広がっていて、車無しでの移動は止めたほうが無難であろう。

昨晩はサンパウロ在住のHさんとパブレストランみたいなところに行った。南米はどこも牛肉が安くておいしい。そこで食べた鉄板焼きがとっても美味しかった。ビールもたくさんたくさん飲んだ。

ということで本日はこれからサントスに向かう。

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リオ

リオ・デ・ジャネイロ。_072 海がとてもきれい。ビーチではサッカーやバレーをしていて歩いているだけで楽しい。コパカーナ、イパネマそしてコルゴバードの丘_075 。こんな街で真面目に働くことなど出来るのだろうか?

ただでさえ勤勉とは言い難いブラジル人の中でも、リオの人たちは一際その傾向が強いようである。ま、誰だって仕事なんかする気分にはならんよなああ。

リオ初日の夜は友人の友人の友人のブラジル人女性と会食。場所はシュハスカリアPORCAO。シュラスコレストランのことをシュハスカリアというそうな。

ここのレストランはかなり有名らしく、お店の入り口に来店した有名人の写真がずらり。私が知ってるだけでもペレナオミ・キャンベルロナウドなどなど。

翌日はサンパウロ在住Hさんと一緒にリオ観光。ボン・ジ・アスカール(砂糖パンって意味らしい)という岩にロープウェイで昇ったりした。あとはリオ観光お約束であるコルコバードの丘_073 に昇りキリスト像を眺める。いやあでかいです。観光客もうじゃうじゃ。でも感動です。

ここはまた訪れたい街である。絶対また行こう。

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